強皮症患者、ご家族の皆さんへ。‐父の闘病生活‐気管切開 入院16日目。朝、病院から電話がかかってきた。医者から話があるそうだ。 母、姉、私で医師からの説明を受ける。 人工呼吸器を使い始めて10日目になるが、まだ取れる見込みはないからと、気管切開を勧められる。 気管挿管中、薬を使って沈静を図っていましたが、日にちが経ったために身体が薬に慣れてしまい、沈静が効かなくなってきています。そのために覚醒時間が長く、辛さを余計に感じています。感染管理上、10日目はタイムリミットになりますので、どうしても一度気管挿管を外さなければならないが、外した後で、やはり人工呼吸器が必要と判断された場合に、気管切開ではなく同じ管を入れ替えるとなると、本人にも負担を強いることが予測される。 しかし、気管切開に変更すれば、薬で鎮静を図らなくても良くなるので、状態が落ち着けば意思疎通がとりやすくなるし、状況によっては人工呼吸器がついていてもリハビリもできるようになります。 チューブ自体の交換も容易になるし、気管に入る管もかなり短くなるので、本人の苦痛もかなり軽減されるます、という説明を受けた。 今は、沈静をかけることで、血圧が下がって、腎臓が機能しない、という悪循環も繰り返しています。いたちごっこになりつつあるため、気管切開をして、沈静を切り、覚醒を促していくことでメリットを最大限に生かしていくほうが、今は大事だと思う、という説明も受けた。 この説明に家族は了解するが、姉の「父の意見を聞きたい」という一言で、父に尋ねてみる。 医師は「薬が効いているので、きちんと意思を確認できないかもしれません」といっていたが、父は沈静をかけられているのにもかかわらず、初めは手術だと言われて大きく首を横に振る。 しかし「今のままでいいのか?」と問いかけると、動きが止まる。 そこで母がなんと言ったかは覚えていないが、母が声をかけると、父がウンとうなづいて返事をした。夫婦の絆の深さに、またもらい涙をしてしまう。 外科医の時間が取れれば今日の夕方にでも、ということだったが、調整がつかず、17日目の昼過ぎに外科医の仕事の合間を見て執刀されることが伝えられた。私達は11時半くらいから病院待機するよう伝えられる。 夜の父の様子は昼間と特に変わりなく、みんなの呼びかけによく返事をしていて、皆を喜ばせていた。 入院17日目、13時。気管切開、開始。 50分後には終わったと外科医に言われる。 それから諸々の処置があり、14時過ぎに面会する。取り替えたばかりで呼吸が少し落ち着いていないが、主治医が近くで様子をみながら対応してくれていることに安心を覚える。 父と意思相通ができるようになることを楽しみにしているが、分かってはいたが、顔の周りがすっきりしたものの、喉元が痛々しくて、涙がこぼれそうになる。母は泣いている。 夜、昼より落ち着いて寝ていた。帰り際お休みの挨拶に行ったときだけ眼を開けていたが、涙を流していたので「どこか辛いの?」と問うと頷いていた。 でも、時々口を閉じてツバを飲み込んでいるような動きがみられたので、早く父の傷が落ち着いて、愚痴の一つでも伝えてくれるようになればと、心から願う。 きっと、元気になると信じて、帰りの日程を8日後に決めた。主人も私の日程に合わせて、父の応援に来る段取りをつけてくれた 入院18日目。15時の面会、処置中で、家族も入れない。 次の面会時間までの空いた時間で、帰りのチケットを購入した。18時の面会では、夕方から血圧が下がって、夜まで治療が続いていた。 そのせいで体がひんやりしていて、かなり頻脈。呼吸器の設定数値が、今までに見たことのないくらい大きな数字であることくらい、私でもわかる。 いつも看護師が記録しているベッドサイドの机上には、血管内に水分を保つために必要な蛋白質のアルブミン製剤のビンが置かれている。 いつもなら血圧低下時は鎮静剤が減る分覚醒して何らかの反応があるのに、今日は起きなかったのが気になった。なぜか眼には黄疸が出ている。 何気なくそばに居る看護師に、どうしたのかと問うも、しどろもどろに返事をされた上に、他に呼ばれてその場を去られてしまい、詳細分からず。 帰り際にそういう状況だったため、私と母の不安が今までないくらいに強くなる。 連日、母は、寝つきが悪いうえに5時ごろに眼が覚めてしまうため、明日も起きるようなら、気になって仕方ないから、7時の面会時間に顔を見に行こう、という話をしている。 帰りのチケットを取ったことを、激しく後悔した。 (1)私の想い | (2)強皮症という診断 | (3)同意書にサイン (4)母の不安 | (5)気管切開 | (6)お父さん、お疲れさま |